公文について②

国語は妙に進んでいます。現在高校課程に入ってます。

国語の方が内容に精神年齢が追いついていかなくて、進まなくなるかと思っていたらそうでもない。息子を解いているのをぼんやり見ていると、どうも、文章の中身を理解しているというよりも、文章の論理構造を把握して、そこから問題を解いているようだ。そうでなければ、高校課程のわけのわからん文章を読み解けるわけがない。

ただ、どうも公文ではそうしたことを意図して教材を作っているようだ。数学ほどではないけど、小学生でも高校課程に進んでいる子がいるのはそういう設計となっているからだろう。だから、登場人物の心情理解などは出て来ずに、縮約や作者の意図のまとめなど日本語の論理が中心になっている。

ちなみに、高校課程では、古文・漢文を読むのではなく、古文・漢文を取り上げている現代文(論説文)を取り上げています。

大人の自分でも読みたくないような文章を読んで設問を解いているのをみると、我が子ながら大したもんだと思う。

ただ、中学受験を考えた時に、一体これが役に立つのだろうかとも思う。どこからか、公文で高校課程終了?まで言った子が、ほとんど国語は塾で苦労せずに桜蔭に受かったという話を聞いてやっているが、個人的には、中学課程までで十分だと思う。高校課程は趣味の世界(小学生にはね)と思う。

ただ、論理力は確実に磨かれると思う。数学や他の科目にも役立つと思ってます。特に最近の理社の入試問題は、長いリード文を読んで解釈すると言った形が増えてきているし国語力は必要だなあと感じている。